オピネルと孔雀の日

6th.Feb. 2009  by:Y.Yoshikawa

* 番外編:2008年夏、満月の夜:1 *

幸いにも「オピネルと孔雀の日」は昨年秋無事出版され、お読みいただいた方々から、さまざまな熱い感想をお寄せいただき、大変ありがとうございました。

サイン会や会場ロビーで声をかけられた方、曲の感想を聞かせてくださった方、握手するなり感極まって涙ぐまれたかた。
国内ツアー中、博多では久々に沢山の古い馴染みの方々と過ごすこともでき、大変ありがたく印象深いここ数か月だった。

東京公演中、元山海塾マネージャーの奥山さんから(現在は世田谷パブリックシアターのとても偉い人)「これ一冊でまだパリに行って3ヶ月の話ですよね?完結するには全何十巻になるんでしょう?」と聞かれ、確かにすごい濃い日々の話だったなあと今更ながら驚いている。

お買い求めいただき、すでにお読みになった方もいらっしゃると思うので、これからは近況を番外編として時々交えて話を綴っていこうと思う。




UTSUSHI At Ch.Baron

2008年7月中旬。僕達は南フランス、ニースとマルセイユの間にある港町トゥーロン、そこから山に向かって約30分ほど登ったシャトーバロンという町にいた。
そう、ここで示す「僕たち」の構成メンバーはさすがに、1980年当時、<オピネルと孔雀の日>を書いた時のままではない。
僕は現在、作曲家としてかかわっているので、当時やっていた音響の仕事は相川晶さんという男性と宮崎淳子さんという女性のエンジニアに引き継がれている。
ダンサーに関しては、天児、蝉丸(当時は森田)2名は当時のまま。他のメンバーは若いダンサーに入れ替わっている。
スタッフも舞台監督は中原和彦さん。照明は若い鈴木悟さん。大道具も松下清永さんはじめ行く先々の国で 数名スケジュールを合わせて来ていただいている。

しかし若いダンサーといっても20年近いベテランから10年ほど在籍しているものが主で 20代は2名かな?実は僕もよく把握していない。
僕は筑波大学の理学部を中退して作曲家をやっているが、ダンサーの中には東京大学を出て就職先を山海塾にした者もいる。
「一流企業に就職するより、パリ市立劇場の舞台に立つほうがはるかに難しそうなので選択した。」とか「ツアー先でゆっくり本が読めると 思ったから。」とか山海塾選択の理由をなんとなく聞いた覚えはあるが、定かではない?

まあ音楽を作ったり、踊りを踊ってずっと暮らしているのだから並の人間の集団でないことだけは確かだろう。




ということで現在の話をスタートさせるために、いろいろ状況書くだけで今回は終わってしまったので次回また南フランスの話に戻ることにする。