* Festival mondial du Theatre Nancy *「ハイ、オーライオーライ、バックオーライ」僕と高田は、運転している森田に大声で怒鳴る。 フォーラム・デ・アールの地下駐車場。 「オラァ〜ィ、オラァ〜ィ」レ・アールのイヴェント責任者、ピエールも真似して声をかける。 今日5月23日夕方、フォーラム・デ・アールでのパフォーマンスを終えた僕達3人は、このままナンシーまで車で行く予定なのである。他のメンバーはガレ・ドゥ・レスト午前0時14分発の電車で向かう。 僕達のレ・アールでのパフォーマンスの記事が、5月9日の「リベラシオン」、10日の「ル・フィガロ」に掲載され、それを読んだプログラムディレクターが急遽連絡を取ってきて、正式参加が決定したのである。(フェスティヴァルへの参加にはフリンジという非公式のものとオフィシャルという正式参加の2種類がある)演劇祭メインプログラムが終わってしまった最後の3日間だが、山海塾の本公演《金柑少年》のヨーロッパ初演がナンシーで行なわれることになった。 ![]() 演劇祭のパンフレット。 急遽出演が決まったため、山海塾公演は載っていなかった。 「オラァーィ、オラァーィ」とピエ−ル。 「あー森田ストップ、ストップ」と高田 「オラァーィ、オラァーィ」 「ノンノン、ピエール。ストップ、ストップ」 あわてて高田は車の後ろをドンドン叩く。 キー、ドスン!我らがメルセデスベンツが停止した。 19日の午後、ゴメスから連絡が入り、手に入れたカミヨン。値段はわずか5600フラン。白い箱型のバンである。 運転席と助手席とシートは二つ。後ろは平らになって、すでに昼間積み込んだ大道具で3分の2は埋まっていた。 19日の僕の日記には一言『森田氏と車を取りに行く。メルセデスのバン。凄いボロ』と書かれてある。 ドアを開けても人が乗り降りしても、ギシギシ音をたてる。かつては白いピカピカの塗装だったろうが、今となっては輝きのある箇所は内装部分にすらない。メーターは15万8700q。後ろの扉の下の部分は腐食してパリパリと鉄板を手で剥がせそうだ。 雨の日に助手席に乗っていると、靴が濡れてしまう。床に小さな穴が開いていて、そこから水溜まりの水が吹き上げて来るのだ。 「おいストップなのか? 高田しっかりしろよ」森田が怒って運転席から顔を出す。 「ワリィワリィ。アー、ムッシュ、ストップ。OKOK」高田はピエールの肩を叩く。 「サヴァ?」いいの? 「ウィ、サバサバ、メルシー」 ピエールはよっぽど気にいったのだろうか。小声で「オラアーイオラアーイ」と口ずさむ。 彼には僕達の「オーライ」がまさか英語の"All right."だとはよもや想像もついていないだろう。面白い日本語のかけ声だと思って真似たに違いない。 僕と高田は後ろの扉を開け、その日使った雲母の戸板を積み込んだ。 「グルルルルルルル」ピエールの連れてきたシェパードが唸る。車の中に入ろうとして鎖をグイグイ引っ張る。ピエールは「ビアン・イシ」ここにいなさい、と何度も犬を叱る。 無理もない。僕達の車の中には本公演《金柑少年》の舞台で使う大道具の戸板が38枚入っているのだが、その22枚の表面には、1枚につき約30尾のマグロの尻尾が針金で取りつけられていた。日本で取りつけてもう半年は経っているから、カラカラの乾物状態になってはいるが、かなり強烈な匂いを放っている。700尾のマグロの尻尾が犬を狂喜させている。 僕と高田、森田3人はレ・アールで使ったテープレコーダーや地がすりを積み込むと、駐車場を後にした。
レ・アールの近く、ポンヌフでのスケッチ。とにかくお金がなかったから娯楽といえば散歩とスケッチと文を書くこと、そして、
ぼんやり哲学のこと、宇宙のこと、バカなことを一日中考えているしかなかった。
ピエールは「頑張って来いよ」と握手し、握った拳の親指をグッと立て左目でウィンクした。 シェパードは「あー食物がいっちゃう‥・OUA-OUA!・」と吠えたてた。 「ギシギシ、ギシギシ」木の軋む音がする。 「ガーーーーー」ディーゼルエンジンの振動が背中から響いて来る。 目の前の真暗な空間がボヮッと黄色く浮かび上がる。僕は黒いフカフカの布の上で横たわっていた。 「あれっ、ここは何処だっけ?」上半身を起こそうとすると「ゴツン」鉄板に頭を思いっきりぶつけた。 「いってえ」 「吉川、目さめた?」高田が振り向く。車の中だ。 オートルートA4をナンシーに向け走り始めて5時間。車はロレーヌ地方、ヴェルダンを通過中だった。 ミシュランのバラ売り道路地図989番、フランス国内版を高田は広げ、懐中電灯で照らして見ている。 午前4時20分。まだ夜は明けていない。 戸板を縦にびっしり積込み、その上に衣装を入れた茶箱、舞台に使う孔雀を入れた長細い木箱を入れ、脇に地がすりを分厚く引き、僕はその上で寝ていたのである。 車が走っているせいか700尾のマグロの尻尾の匂いも、それほど気にならない。匂いというのは長時間嗅いでいると、マヒしてくるものだなと思う。戸板の上にこしらえたベッドは思ったより心地よく、ワインを飲んだ僕はぐっすり眠ってしまった。 積込みを終え、いったんヴィクトル・ユーゴに帰り遅い晩飯を食べ、出発したのが午後11時30分。それから森田と高田が交替で運転していた。 「森田さん代わろうか?」 「いや平気だよ」 車の免許を持っているのは僕、天児、森田、高田、滑川、山田の6人なのだが天児、滑川、山田はペーパードライバーなので、必然的に我々3人が車移動になる。 免許は本来〈国際運転免許証〉というのを日本で取って来なければならなかったのだが、そんなこと当時僕は知らなかった。 さよさんに聞いたら「日本の免許でいいんじゃないの、何か言われたら日本語で答えてれば、ポリスも面倒だから『行けっ』てことになるわよ」と言われ(実際これは本当だった)そうか日本の免許でいいのかと平気で運転していた。 やがて白々と夜が明けて来た。ガスだ。ミルクのような霧が垂れこめている。 我々の横を猛スピードでトレーラーが追い抜いていく。数十メートル先を走る車のボンヤリ見えるテールランプだけが頼りだ。路面が濡れていて、トレーラーに追い越されると、後輪の巻き上げる水飛沫でワイパーを最高速にしていても視界が効かなくなる。危ないので80q以上出せない。 メッツでオートルートA31に入り南下し、ナンシーに着いたのは午前7時30分であった。そのまま会場に向かう。 「カンカンカンカン」会場に入ると、山田のなぐり(金槌)の音がもう響いていた。 午前4時30分。ナンシーに着いた電車組は、一度フェスティヴァル主催者の用意したホテルに着いて仮眠すると、7時には会場入りし舞台作りに入っていた。それでも今夜11時のステージに間に合うかどうかギリギリである。 「おっはよう」 「あれ〜さよさんも来たのお」 「もちろんよ。三連休でキャシャレル休みだし、あなたたち通訳いるでしょ?」 「うわあ助かるわあ」高田は大喜び。 いくらマナルドが通訳に来る予定だとは言え、やはり日本人同士。完全にこちらの言い分が分かって通訳してくれる人がいると心強い。 《金柑少年》の舞台は我々の間では〈ヤオヤ〉と呼ばれる造りで舞台全体が八百屋の陳列台のように後ろが高く傾斜している。その傾斜部分の左右に平らな回廊を、ステージの大きさいっぱいに作る。平材、角材でこれらの土台の骨組みを組むところから我々の舞台作りは始まる。 青色の白衣型の作業着を着た現地スタッフはいるが、骨組みづくりはかなり精密な作業なので、森田の指示に従い、天児を除く4人のダンサ−、山田、小林の6人で行なわれる。これに2時間かかった。骨組みが出来あがると上に合板を打ちつけ、この部分は完成。 次にステージの前面、上手と下手にステージの部分からさらに前方、客席にはみ出して3メ−トル四方の島を作る。 ここまで出来たところでステージの上は一度、照明の小笠原に開け渡されることになった。 ライトの取りつけというのは、バトンと呼ばれる細長いパイプを、天井からステージのすぐ上まで機械仕掛けで降ろして取りつけ、それをスルスルと上げてOKなのだが、ここにはその装置がない。鉄骨が剥出しになった倉庫の天井裏、地上十数メートル。ハシゴでもってライトを担いで上って一つ一つ取りつけなければならないのだ。同時に大道具の作業を行なうことは危険である。 前もってつけられていたライトはあったが、その倍近くのライト約50個を仕込まなくてはいけない。小笠原は図面を見ながら、フランス人スタッフ3人に身振り手振りで指示し作業を開始した。 その間、大道具のスタッフは、後ろに吊すマグロの尻尾のパネル、そしてさらにその後ろに仕込まれる仕掛けのためのパイプ組を作っている。 照明の吊込みがほぼ終わったのは正午だった。 ほぼ終わったと言うより正確には正午きっかり、フランス人スタッフが全員現場からニコニコしながら突如消え去ったのである。 「さよさん、何とか言ってくんない」あせって高田はそう頼んだが「むりよ」ハナから、さよさんは諦めている。 昼食時のフランス人を働かせるのは、もしかしたら、この世で一番難しいことかもしれない。万に一つの可能性もないことに時間と労力を費やすのはこれまた無駄である。そう言われ、しかたなく僕達だけでも出来る、大道具の作業を再開する。 舞台の大まかな部分が完成した時は既に4時を回っていた。 「おおい吉川君。手伝ってくんないかなあ」ライトの吊込みの終わった小笠原が、天井裏の鉄骨パイプに蜘蛛のようにへばりついたまま僕を呼んだ。 「いいですよー」 僕のほうはセッティングやラインチェックも終え、日本から運んだテープのサブマスターを作ろうとしていたところだ。今日の公演の準備は完了している。 「じゃあさあ、ライトの当たりチェックするから、通訳やってくんない」木製のハシゴをつたって降りてきた小笠原は息をはずませている。 「ちょっと休憩」小笠原はそう言うと、リーヴァイスのジャンパーのポケットからゴロワーズを取り出し銀のジッポで火を点けた。 ジーパンの後ろのポケットから照明プランを描いた図面を取り出し、しばし眺めている。 「じゃあ。下手前からやるかな」 「ヘイ・レッツ・スタート・アゲイン」僕は皆に声をかけた。 大道具のスタッフは別として、照明と音響のスタッフは英語が通じる。 1人は調光卓に、あと2人はハシゴを上ってライトの位置を調整する作業と、そのハシゴを下で支える仕事をやるよう指示する。 「1番点けてみて」 「ナンバー・ワン・プリーズ」 僕と小笠原はステージの上だ。会場内の他の照明は全て落としている。 下手前方、雲母のパネルの後ろが明るくなる。 「もうちょい前だな」小笠原が言う。 僕は、パネルの前の部分に明かりが来るよう、ライトを少し前に振るよう伝える。 「少しって何メートルですか?」天井から返事が返って来る。 「小笠原さん。何メートル前かって聞いてますが」僕が伝える。 「俺の立ってるこの辺りを照らすんだよ」 「それは何度首を振ってフォーカスをどちら向きに何メートル動かすことですか、数字で指示してください」 天井からのんびりした口調で聞いてくる。 「・・・・・だそうですが」小笠原に伝える。 「もういい。降りて来るように言ってくれ。バカ野郎!」小笠原はカンカンだ。 悪びれた様子もなくモッズヘアーの男が降りてきた。さっぱり分からん? とばかり両手をひょいと上げるようなポ−ズをする。 フランスと日本の照明の仕事のやり方って随分ちがうんだなあ。その時はそう思った。が、実はモッズヘアー野郎、こうして堂々とサボッたのだ。これは後日判明する。 照明や音響の仕事は元々ヨ−ロッパ・アメリカスタイルを日本も踏襲しているのでほとんど変わらないと言っていい。それをさも、日本人が訳の分からないことを言って困るよ、という振りをして彼はサボッたのだ。 「吉川君。ここに立ってて」そう言うと小笠原はスルスル、ハシゴを上って行った。 天井の鉄骨パイプにしがみついた彼はハシゴから足を離し、軽業師のようにライトからライトへ、パイプを伝いながら位置決めを行なう。 「オオーイそのアクリル板の手前。はいそこ」 僕は次々と移動しながらダンサーの立ち位置で立ったり座ったり寝転んだり。 「ワーワー」と言って時々上からボールペンや煙草が落ちて来る。命綱も網もない、地上15mの危険な作業だ。ハラハラしながら僕は見上げる。足と腰をパイプに引っかけ上半身を隣のライトまで思いっきり伸ばして操作する。 2時間後。ゼイゼイ言いながら作業を終えた小笠原の顔や手は、埃で真っ黒になっていた。 「こういうのって、照明チーフのやる仕事じゃないんだぜフツウ。ゼイゼイ・・・こいつら下でボンヤリ見てやがって・・・だいたい、いつもは武道館で矢沢永吉のピンスポ焚いてんだぜオレは」 小笠原の怒りはどんどん高まる。 「クソッ!」 バンと床を叩くと立ち上がった。 しかしまだまだ準備は終わらない。これからやっと調光卓へのコンピュータープログラムの開始である。すでに7時を回っていた。開演まで後4時間。問題が続出している。 舞台に使うための小麦粉250s、米、その他頼んでいた物が何一つそろっていない。我らがコーディネーター、マナルド、シェムはまだ姿を現さない。いったい誰に交渉して用意させればいいのか、それすら分からない。仕方なく森田が運転してさよさんと緒方で町まで買い出しに出かけている。 すべての準備が整った時は9時を過ぎていた。ゲネプロ(通し稽古)を行う時間はない。そこで場当たりと言って、それぞれの立つ位置を確認しては踊りを端折って進めるリハ−サルになる。 稽古をつける天児はイライラしている。時折「バカヤロー」と罵声が飛ぶ。 10時になった。客入れ30分前。照明の直しや道具の直しがある。ダンサーも、もう着替えて体をほぐしたり、白塗りをしなければいけない。本当ならライトの向きの細かな調整やプログラムの修正があるのだがすべてをやり終える時間がない。小笠原の目が点になっている。向きの変なライトやプログラムのおかしいところは、コンピューター制御を外しマニュアル(手動)でやるしかない。 10時30分。客入れの時間だ。 気がついたら、朝会場に入って以来飲まず食わずで働いていた。 |