オピネルと孔雀の日

14th.08. 2008  by:Y.Yoshikawa

*au Restaurant *




「あなた達、貧乏なの」さよさんは驚いた顔をして言った。
「そりゃそうっすよ」高田は堅いステーキをコシコシとナイフで切りながら答えた。
「だって有名なんでしょ」
「いやまあ・・・・だってほら、日本じゃやっぱりアーティストなんて食えませんよ」  
「そう? こっちのアーティストってお金持ちよ」
「そうですかあ?」
 フォーラム・デ・アールのパフォーマンスを始めて4日目の夜。広場近くの大衆レストランにいるのは滑川、高田、山田、小林、さよさん、僕の6人である。今日もまた14フランのビフテキとフライドポテトだ。
 日本だとステーキといえば高級なイメージがあるが、こちらではただ肉を焼いただけの手間のかからない安メニューである。
 「もっといろいろ、おいしいのがあるのに」さよさんはメニューを解説してくれるのだが「一番安いのでいいんです」高田は強引にステーキを注文してしまう。
 「こいつの格好見てやってよ。これが金持ちに見える?」滑川の肩をドスンと山田は叩いた。
 「え、個性的でいいんじゃないの」
 「フォー」と言いながら滑川は、うれしそうに顔を上げ、フライドポテトを口の中でモゴモゴさせる。
 パフォーマンスの後、白塗りを、両手と顔の部分だけ石鹸とクリ−ムで落として帰るのだが、どうしても首筋や耳の穴のまわりに残ってしまい、それが乾いてポロポロ落ちる。ホテルに帰るまで、シャワーに入れないのだ。
 「夏には日本に帰るんだろ」山田が高田に尋ねる。
 「エー?いや一応1年くらいは頑張ろうと思ってるんっすけど」
 「そんなに仕事決まってんのか?」
 「んーいやまだこれからですけどね」
 「俺、夏にいったん帰っちゃおうかな〜。カアチャン待ってるし」ふざけた調子で小林が言う。小林は2ヵ月前に結婚したばかりである。
 「ちょっと待ってくださいよ」高田は苦笑いする。
高田の苦笑いには、理由があった。
 「エエイ行ってしまえ〜」とパリにやって来たのはいいが、舞台装置の空輸やエアーチケット代もろもろの出費は予定よりかさみ、出発に際して稽古場はおろかアパートから何から何まで引き払うことになった。払い戻された敷金の類いは全て渡航費用に消え、ようやく全員がパリに辿り着いた時には、天児が持って来た15万円しか山海塾には現金がなかったのである。 (高田の最初の15万円はすでに使い果たしていた。)もはやパリで稼がない限り日本には帰れない。
 舞台装置を送り返す金もすでにない。冗談で言っているものの、ここで誰かが抜けたりすると、パリで仕事は出来ず日本にも帰れないという玉砕状態になってしまう。高田はヒヤヒヤだ。
 「そうだ〜。毎日毎日ステーキばっか食わしやがって。わしゃもう飽きて飽きて。おい何とかしろよな」山田は特に食べ物にうるさい。なのにパリに来て以来、安いからという理由で毎日のようにステ−キばかり食べさせられていたのである。
 「わかりました、わかりましたよ。食事代を現金で渡しますから、みんなそれぞれ食べに行くことにしましょうよ」
 「いくらくれんだよ」
 「ええ!だって1日20フランしか出せませんからね。後は自分で何とかして下さいよ」
 「おうそうしようぜ。その方がよっぽどましだ〜」  「ったく面倒くさいんだから」高田はブツブツぼやいた。
 後から来たメンバーは、パリに着いて7日め。まだこちらの生活に慣れてなく、食事も何もかも殆ど高田の後について、集団行動を取らざるを得ない状況だった。
 当時1フラン=60円だったのだが、暮らしてみると1フラン=20円換算にしかならないのが実感だった。コカコーラは4フラン(240円)ビックの百円ライターが5フラン(300円)もしたのだ。もし仮に1フラン20円で換算するとコーラが80円。ライターは100円でちょうどよくなる。つまり1日にくれることになった食事代は実質は400円。毎晩のステーキはわずか280円の食事である。
 さっさと1人だけ、猛烈なスピードでステーキをたいらげた山田はゲップを大きくした後「おいコーヒー頼むぞ」と高田に言った。



典型的なビーフステーク・アヴェク・ポムフリ(ビーフステーキ&フライドポテト)の例。これに塩、胡椒をかけて ムター(西洋からし)をつけながら食べるのである。


 「あ、ハイハイ。じゃあコ−ヒ−飲む人?」しぶしぶ高田はみんなに尋ねた。  スッと4人の手が上がる。
 「さよさん飲まないの」山田が聞く。
 「わたし?紅茶にしようかな」さよさんはギャルソンを呼ぶとエスプレッソ−と紅茶を頼んだ。
 「俺は公演のないときは、太陽テントっつうテント屋で働いてんだよ」山田は歯をチッチッとならした。
 「俺は電気屋でバイト」小林が言った。
 「吉川さんは?」
 「あ、僕ですか。学生です。いやこの間まで学生だったんですけど」
 「本当はミュ−ジシャン目指してんだよな」滑川が続けた。
 「すごいわねえ」
 「いやあ。なれればの話ですけどね」
 「さよさんは、何してんの」小林が尋ねた。
 「わたし? キャシャレルって知ってる?」
 誰も知らなかった。が、フランスの有名な服のブランドである。
 「婦人服のメ−カ−なんだけど、そこに勤めてんのよ」
 「凄いじゃん」みんなで感心した。
 「ねえ高田さん。あなたたちの、ん〜絵はがきみたいなのってないの?」
 「エッ? いわゆるブロマイドってやつですか」
 「そうそう」
 「ああ。腐るほどありますよ。な」
 「エヘヘヘ」エスプレッソ−を飲みながら滑川は笑った。
 「いやあ、こういう物は一度に多く刷れば刷るほど、安くあがるんですよ」真面目な顔で滑川は言う。
 「だからって1000枚も刷らなくったっていいじゃん。こんなにどうすんだよ」高田は滑川を責める。
 「ほら、案内状とか・・・何か使えるだろ〜」
 「今持ってんの?」さよさんは催促した。
 「あ、ちょっと待ってください」茶色の合成皮革のブリ−フケ−スから、滑川はポストカ−ドを取り出すと、さよさんに渡した。
 カ−ドには天児以下4人のダンサ−が白塗りをして、大漁旗の前でポ−ズを取っている姿が写っていた。大漁旗のデザインはキッチュで明るい印象だった。裏には
《SANKAI JUKU》  troupe de danse de Butoh, grincante et grimacante.  
軋みと歪みのBUTOHダンスグル−プ《山海塾》  
photo:Michele YVANES と印刷されてあった。  
「あ、ミッシェルが撮ったの」僕は言った。  
「そう」高田が答えた。  
「5フランよ〜5フラン。山海塾のポストカ−ドはいかが? ここでしか売ってないわよ」翌日の公演終了後である。片手に空き箱を持ったさよさんは、レ・ア−ル広場の中、観客がまだ興奮さめやらぬままザワメイているところで、いきなり売り始めたのである。5月5日からスタートして5日目。夕方になると僕達のスペクタクル目当てに来る客もいるほどになっていたので、用意したカ−ドは瞬く間に売り切れた。箱にはジャラジャラ硬貨やお札が入った。  



パリで有名なうどん屋、国虎屋。ここのオーナーとは、25年前彼が初めてパリに来て 店を作る計画をしていたころ以来の付き合いだ。
僕と同郷、四国、高知の人。山海塾パリ公演の打ち上げはこのお店を貸しきりにして朝まで飲み明かす。
写真を見ると分かるが 客のほとんどがフランス人。彼のつくるうどんは、四国を飛び出し、インターナショナルな食べ物になっている。

思いがけない臨時収入のあった僕達は「今日もまたステーキはいやだ。何処かうまい店に行こう」と主張した。  
「クスクス食べに行かない」  
「何それ」広島弁のアクセントで山田が聞く? 
山田は広島生まれだ。  
「食べたことない?」  
「ないよ」  
「アラブなのね。で、クスクスっていう粉があるんだけど、それにお肉とか鳥とか乗せて食べるの」  
「うまい?」山田は疑い深そうに聞く。  
「おいしいわよ。そこの主人、わたしの友達だし」  
「そう。じゃそこにしよ。そこに、なっ、高田」  
「いやあ、今日はもう何処でもいいですよ本当に。パッといきましょうよパッと」  
レ・アール広場の片付けを終えた僕達は全員、メトロ・クリュニー・ラ・ソルボンヌにある「HAMADIE」というレストランに向かった。店内には小さな素焼きの壺がいっぱい飾ってあった。隅に置かれたラジカセからアラビア風の女性ヴォーカルが流れている。  
クスクスはもともとアラブ料理なのだが、さよさんが言うにはここの主人はチュニジア人なのでクスクスもチュニジア風なのだそうだ。オリジナルなクスクスを見たことのない僕には、どこがどうチュニジア風なのか見当がつかない。
巨大なまるで花瓶のような透明なピッチャーに赤ワインが入って出てきた。各自なみなみとグラスにつぐ。   
「じゃ無事にレ・アールの前半5日間も終わったし、これからも頑張ろう、カンパイ」天児の音頭でみなグイとワインを飲んだ。  
「ほらクスクスの粉が黄色いでしょ。チュニジアのはこうなのよ」3枚の銀の大皿に粉が盛られて出てきたのを見てさよさんは言う。  
その山盛りの粉の上に、シシカバブーや鳥のモモ、トマトにピーマン、そしてソーセージが、焦げ目がつくほど焼かれてジュージュー音をたてながらのっていた。1mm位の顆粒状になった粉をスプーンで皿に盛る。ナイフとフォークでもって先を争うようにシシカバブーや鳥を取り分ける。  
「食っていいの」そう言いながら山田はすでに口の中いっぱいに頬張っている。  
「あ、待ってこれにスープをかけるのよ」  
「パサパサしてんなあ」当たり前である。まだスープをかけていない。そこにスープが出てきた。オレンジ色の、さらさらしたスープの中にはキュウリやニンジンそしてアラブ独特だという薄茶色の豆が入っていた。豆は小指の爪くらいの大きさで一方がキューピーの頭のようにとんがっている。それをクスクスの粉にたっぷりかけ、スプーンで混ぜ合わせ、食べるのだ。  
コンガリ焼けたシシカバブーの肉は香ばしく、クスクスの粉はス−プと混じってもべとつくことなく、ふくらんでお腹にたまった。  
デザ−トに僕はカシスのアイスクリ−ムを注文した。カシスの酸味が油っぽくなった口の中をさっぱりとさせた。腹いっぱい食べ、ワインを飲み僕は幸福だった。このまま仕事がうまくいって、毎日こんな風にレストランでちゃんと食べられてお金も入って暮らせるようになるといいなと思った。何もかも順調に行くような気がした。