オピネールと孔雀の日

17th.05. 2008  by:Y.Yoshikawa

* Le deuxieme jour *


 「ちょっと電話探すわ」
   高田はそう言うと、サンジェルマン通りをオデオンの方向に歩きだした。
 サンジェルマン通りは、セ−ヌ川の左岸を川に沿って東西に走る大きな通りで、この辺りはカルチェラタンと呼ばれ、ソルボンヌ大学やリセ(高校)が集中している。ショ−ウインド−をのぞき込むと、学術図書や立派な装丁の古本が並べられた店が多い。中には医学専門店で、いきなり人体解剖模型を売っている店もある。
 高田は電話ボックスを見つけると、1/2フラン硬貨を取出し電話をかけようとした。
 「こわれてる」
・・・パリの公衆電話。後に「テレカルテ」と言うテレフォンカ−ド形式になったので、もうほとんど大丈夫なのだが、このころは、電話機を壊して中の小銭を盗むのが流行していた。街の半分の公衆電話が壊れていると言ってもいい有様だった・・・ 
 さて4つめの公衆電話でやっと電話がつながり、今日はある日本人女性を訪ねることになった。名前を弘田さよと言う。
 「高田さん。その人どんなひと?」
 「いやあ、俺も良く知らないよ」
 「で、何しにいくの?」
 「何だかとにかくパリに長く住んでて、いろいろ詳しいから、会っとくと、いいらしいぜ」
 全く説得力に欠ける返事である。オデオンというメトロの駅を出たところに、黒いダントンの像というのがあるから、その前で待てということらしい。我々は歩いてオデオンに向かった。
 オデオンは映画館やカフェの多いところだった。オデオン広場に面したカフェではストリ−トミュ−ジシャンが、オゥタムン・リ−ブスを演奏していた。
 超小型の持運び可能なアップライトピアノは鍵盤が60鍵くらいしかなく、周りの蓋も何もかも外された(まるで内蔵むきだしの)状態で軽量化されてあった。小型のバッテリ−式のアンプをつなぎ、増幅できるようになっている。その超小型移動式ピアノとソプラノサックスのデュオの演奏である。
 うまい!コルトレ−ンばりにモ−ド奏法でバリバリ吹く。ソロが終わるたびに「ブラボーブラボ−」の大喝采である。
 ちなみに今日1980年4月28日は月曜日である。みんな真っ昼間からワインやビ−ルを飲みながらカフェでワイワイやっている。
 「あ、こんにちは」
 少し太り気味の、髪を腰まで伸ばした40才前かな?と思える女性が、ひょっこり現われた。黒地に小さな花柄のワンピ−ス。目がクリッとして、愛敬のある顔をしている。表現が悪いが、おそ松君に出てくる、イヤミとちび太を足して割ったような感じ。フランスに長く住むと聞いて、もっと冷たい感じの女性を想像していたのだが、本当に気さくな、その辺にいるおばさんだ。
 オデオン広場からボザ−ル(国立美術学校)に抜ける細道、マザリン通りをセーヌ川に向かって2分ほど歩いた所に、彼女のアパルトマンはあった。小さなカフェやブティックやワイン屋の立ち並ぶ、ゴチャゴチャした気軽な通りである。少なくとも百年は経っていようかと思われる、どっしりした石の門の脇に、妙にぴかぴかの、ジュラルミンで出来た暗証番号式プッシュボタンがあった。彼女がそれを押すと、ビ〜〜という弱々しい、日本人の耳には少しマヌケに聞こえるブザ−の音がして扉のロックが外れた。
 薄暗く細いトンネルを抜けると、広々とした明るい中庭に出る。
 彼女の部屋は3階にあった。
 「 お好焼き食べる?」部屋に入るなり、さよさんは尋ねた。
 「はあ。いただきますけど」少し戸惑いながら答える。
 彼女は奥のキッチンに行くと、香ばしい匂いのお好み焼きを、白い大皿に乗っけて出てきた。
 「うわあ! うまそう、どうもすいません」僕達は遠慮がちに言いながらも、箸を持った手は皿に素早く伸びる。
 「あの−、関西の方ですか」僕は訊ねた。
 「そう。私、高知。吉川さんは?」
 「あ、僕、香川です」
 「あらそう、あなた四国なの」さよさんはうれしそうに言った。
 たった2日間パン食だっただけなのに、そのソ−スと醤油のたっぷりかかったお好み焼きを食べ、早くも日本の味覚に懐かしさを感じている自分に我ながらびっくりしてしまった。
 「舞踏って、おもしろいの?」
 「いやあ、けっこうおもしろいと思うんですけど」高田は勿体ぶって言った。
 「あら〜けっこうおもしろい、くらいなの?な−んだ」さよさんは、おしんこをボリボリ齧りながら言った。
 「いや、絶対。すっごくおもしろいっすよ」高田はあわてて言いなおした。
 「フ−ン、本当?」
 「今度レ・ア−ル広場で、やりますから見に来てくださいよ」
 「そうね〜」さよさんはグビグビとお茶を飲んだ。
 この人には、謙遜とかお世辞が通じないし、そういった感覚が20年近いパリ生活で、ほとんど欠落していたのである。
 お好み焼きを食べた後、メトロの切符の買い方とか、アパルトマンの平均的な家賃、カフェでの注文の仕方とお勘定の仕方etc・・・そういうパリ生活の基本的なことを長々と僕達は教わった。